Since:2000/4/21
不燃ゴミ
今年の三月あたりだったろうか。
この地域の "不燃ゴミ" の日が変わって、土曜日になった。
そして、収集は午前8時30分頃である。
…そして、先週も出しはぐってしまった。
つまり、最古参は、もう三週持ち越しとなってしまったのである。
なんということか。
冷静になって、地区に配布された "資源ごみ" 保存版を
よく見てみると、不燃ゴミって、そのまま埋められちゃうんですね。
今までは、てっきりリサイクルにでもされるのかと、勝手に思っていました。
それじゃあいっその事、外の土にでも埋めてやろうかと、
賃貸1Fの "猫の額" を恨めしく眺めたけど、
このペースじゃ、きっと一ヶ月もしないうちに満杯になっちゃうんだろうな。
"豊かな生活" って、なんなんでしょうね?
−−
しかし、ホントどうしよ。
スーパーの大きめな袋一杯に、たんまりと食品ビニル系が4袋だもんな。
でも、折角の土曜の朝なんだから、ゆっくり寝かせてよー。
"週一で土曜の朝" なんて、なんて罪作りなんでしょ。
夏期講習
小学生の頃だったか、中学生になってからだったかはもう忘れたが、
自発的に、二つ駅の離れた学習塾まで夏期講習に通ったことがある。
いつもの下りの電車は、旧式だった。
床は油のしみこんだ木製で、扉は大きな一枚扉で、
乗り込むと独特な匂いがして、その度に大袈裟な音で動作する。
発進時などは、 "モーーー" と重苦しい音を震わせて、
ちっとも加速しなかったし、当然、冷房なんかは付いていなかった。
一本遅らせれば、涼しくて静かで快適で
塗装も綺麗な電界チョッパ車がやってくるのだが、
当時の私は、断然古びたそれが好きだった。
わざわざ先頭に乗り込み、運転台の計器類の針の値の意味や
"右手ブレーキ" の絶妙なさばき加減を、わくわくしながら鑑賞した。
帰りは帰りで、 "イトーヨーカドー" の中の出店で、
少し湿った "フライドポテト" を買って、食べながら帰った。
夏期講習とて、今となってはそのくらいしか覚えていない。
梅雨の晴れ間の昼下がり。
今日の陽気は、その時の気候にそっくりだった。
ラジオ
一人で過ごす夕刻は、最近は "ラジオ" である。
窓を開けて、自然の風を入れながら、流れる音楽を、トークを
それとなく耳で楽しもう。
早くも新譜がかかったり、意外なリカレントが聴けたり。
不意に "おバカ" なパーソナリティーだと認識したり。
聴覚に頼る分だけ、肩もこらず、のんびりとしたイマジネーションが拡がる。
日常酷使している、視覚も一休み、してね。
降り出した雨音と、何処からか漂う "蚊取り線香" の匂いの中で、
次の曲が、"今、聴きたいあの曲" であるようにと、
期待を込めてみるのも、意外と楽しいものだ。
太陽の味
近所のスーパーでフラフラしていたら、なんと、大きなスイカがあった。
それも、1/8 cut (?) の食べきりサイズで、オドロキprice 238円である。
また、ここのショップに良くありがちな、食べ頃を少し過ぎたような
"しなり感" も無い。これは "天の声" を待たずにして買いである。
いつもより早い足取りで家路につき、ちょっと冷えの足りないそれを
真っ先にプレートに乗せて、じっと見た。
正真正銘の初物である。
それに…一人暮らしを初めてから、なんど、いや何年これを見送ってきたか。
大抵、それは一人では食べきれないサイズであるが故だ。
ガブリ。
頭の中に入道雲が浮かぶ。
ビニールプールに足を浸して、ばちゃばちゃいいながら、種を
飲んじゃったりした味と、おんなじ味がした。
ちょっと気取って、 "塩" かけてみようかなぁ…
…ここで少し冷静になる。
…何か物足りない。
それは、太陽の下で、日差しを避けながら食べていないせいか。
旬ではない、果物や野菜には、どこか何かが足らないせいか。
蛍光灯の下で、夜、ひっそりと食べているせいか。
今シーズンは、是非実家に帰って、子供のようにスイカを食べることにしよう。
水蒸気でかすんだ南風を受けながら…
おかえりねこ
今日も夜遅く、駅からの道をとぼとぼと歩いて、
アパートの角を曲がった。
そうすると、毎日、絶対に居る "黒い影" がある。
ねこである。
別に、僕を待っている訳でも、誰を待っている訳でも無さそうだが、
きっと、足音のする方向をただ、見ているだけなのだろう。
ぐったり疲れて、就寝まで誰とも遭遇する予定のない私には、
「帰りを待っていてくれる(ような)生物」に出逢えることは、
やはり、嬉しく、心がなごむ。
( ただいま )
( 今日ごはん、なんにも無いわよぅ )
そんな会話が、成立したら面白いんだけどな。
#でもこのネコ、実はオスだったりして?